幡多半島
誠実さにこだわる菱田ベーカリー、パンづくりへの矜持
高知生まれのローカルパンは、いかにして全国のファンを増やしたのでしょうか。戦後まもなく製パンメーカーを立ち上げた創業者の思い、そしてそれを受け継ぐ現スタッフの思いとは。ご自身も「菱田ベーカリー」のパンに親しんで育ったという、高知さんさんテレビのアナウンサー・正木麻由さんが、菱田仁さんにじっくりお話を伺いました。
正木さん:今日はお忙しい中、お時間をいただき、ありがとうございます。改めて「菱田ベーカリー」さんについてのお話を伺わせてください。
菱田さん:「菱田ベーカリー」は、現社長の父、菱田喜久治が創業しました。元々は呉服商を営んでいたのですが、第二次世界大戦の影響で糸や針が手に入らなくなって廃業に追い込まれ、パン屋を始めたそうです。
正木さん:呉服からパン製造へ。始まりからドラマというか、大きな転換ですね。
菱田さん:戦中から戦後の日本は、日々の食事に困るほどの食糧難でした。巷には十分な米もありませんでしたが、小麦は配給で安定して手に入ったからだそうです。「まずは宿毛の人たちに美味しいものを届けよう」との思いで始めたと伝え聞いています。
どんどん焼きあがります 正木さん。焼きあがった「レトロ食パン」の前で 「スィートイギリス」のマーガリンも一枚一枚手塗り フードロスの観点から生まれた巨大パン ラスク作りも手際のよさに驚かされます
正木さん:羊羹ぱんは、どのような経緯で誕生した商品なのですか。
菱田さん:起源については諸説あり、形や味なども少しずつが違いますが、「ようかんパン」と呼ばれるパンは全国各地にあるようです。有名なのは北海道や静岡でしょうか。
正木さん:そうなのですね! 菱田ベーカリーの羊羹ぱんには特にどんな特徴があるのでしょうか。
菱田さん:このあたりは古くから和菓子文化が根付く土地で、うちでも創業時からパンと並行して、まんじゅうや落雁などを作っていたといいます。お祝いの紅白まんじゅうに、羊羹で文字を入れるなど、羊羹も手近にあるものでした。ある日、あんぱんを焦がしてしまい、その焦げを隠すために羊羹をかけたのが始まりといわれています。昭和40年代のことです。
出荷前にきれいに並んだ羊羹ぱん パッキング最後の仕事も手作業で
正木さん:いまや半世紀を超えるロングセラー。人気の秘訣はどんなところにあるとお考えですか。
菱田さん:ウソのない味づくりに尽きると思います。親子二代、あるいは三代ファンでいてくださる方がいる看板商品ですから。
正木さん:近頃は、高知のご当地パンとして県外でも人気のようですね。
菱田さん:目新しい素材も最新の技術も使わない素朴なパンですが、当初、年間約3万個だった製造数が今では30~35万個に。出荷先も、東京をはじめ全国に広がっています。私は、妻と結婚して「菱田ベーカリー」の一員になったので、製造面ではベテランの職人にかなわないことも多かった。代わりに、羊羹ぱんと菱田ベーカリーを知ってもらう努力は続けてきました。食品展示会に出品したり、上京して駅ナカに出店したり。最初は全然売れなくて落ち込みましたが、続けることで少しずつ知っていただけるようになったのです。
羊羹ぱんと人気を二分する「羊羹ツイスト」 「食べてみたかったんです~」と正木さん
正木さん:戦後、「宿毛の人のおなかを満たす、美味しいパンを」と始められたメーカーさんが大躍進ですね。
菱田さん:なにしろ、レンガと土でつくった粗末なパン窯で、おがくずや薪を燃料に始めたパン屋ですから。今の言い方でいえば「DIY」とカッコいいですが(笑)、燃料も乏しい時代に愛媛の山間部から薪を調達したなど、逸話には事欠きません。
正木さん:すごい情熱です。
菱田さん:昭和40年代からこの地域でも学校給食が始まったのですが、「菱田ベーカリー」はいち早く工場を機械化し、美味しいパンを大量につくれる環境を整えてきました。
正木さん:創業者の方から、ずっと先見の明がおありなんですね。
菱田さん:時代の追い風も受けました。「菱田ベーカリー」は学校とともに、つまり地域の子供たちの成長とともに歩んできた歴史があります。小中学校の給食メニューや高校の購買部にいつもある。私自身、隣町の出身なのですが、高校時代、昼休みになると自分の好きなパンを売り切れる前に買いたい一心で、売店に走った思い出があります。
正木さん:高知県民のソウルフードですからね。
菱田さん:とびきりのご馳走もいいけれど、日常の、手の届くところに、食べたらうれしくなるようなパンがあったらいいなと思います。
羊羹ぱんだけじゃない人気商品たち
レトロ食パン(6枚切り、360円) 商品名のフォントもレトロでかわいい
正木さん:羊羹ぱん以外にも、根強いファンを持つオリジナルの商品がありますよね。
菱田さん:おかげさまで、昭和初期に製造を開始したパンの多くが、「菱田ベーカリー」では今も現役選手です。
正木さん:ロゴデザインやパッケージもレトロでかわいくって!
菱田さん:ありがとうございます。製造当時、考えに考え抜いた最先端は、そう簡単には古びない。子供のころ、食べて育った世代が「懐かしい」と感じてまた買ってくださる。パッケージもその手助けになっていると思います。
正木さん:今回改めていろいろ試食させていただいたのですが、アップルパイ風の「ヤキリンゴ」、シュガートーストの「スィートイギリス」に「ぼうしパン」など、どれも懐かしくて美味しい。
菱田さん:初めて召し上がっていただく方にもそう言ってもらえるようなパンづくりが、「菱田ベーカリー」の目指すところです。
正木さん:菱田さんにとって、美味しいパンとはどんなパンなのでしょうか。
菱田さん:美味しさの基準は人それぞれですが、人が「美味しい」と感じるとき、あるいは「美味しい」味を思い出すとき、食べ物そのものの味だけでなく、食べた場所の景色や一緒にいた人との会話などもセットになっていると思うんですね。
正木さん:確かに、味の記憶というのはそういうものかもしれません。
菱田さん:私の実家は、水産業を営んでいました。子供の頃、祖父が生簀から網ですくったアジをすぐに刺身におろしてくれたのですが、それが私の「美味しい」の原点。それを思い出すたび、潮風の香りや船に波が当たる音なども懐かしく思い出す。私たちのパンも、食べてくださった方にとって、そんな風に“記憶に残る味”でありたいといつも思っています。
菱田ベーカリー
高知県宿毛市和田340番外地1 TEL0880-62-0278
営業時間9:00~17:00 火曜、土曜休み(要問い合わせ)
菱田ベーカリーは大自然に囲まれ、環境がとてもいい
高知県南西部、愛媛との県境に位置する宿毛市。自然の豊かさと美しさは、高知県の中でも指折りのエリアで、「菱田ベーカリー」周辺でも、清流や深い森、海岸線や島々が浮かぶ様子まで美しい海など、さまざまな絶景を楽しめます。
咸陽島
宿毛市大島から望む咸陽島。橋で渡れる大島の西側に位置し、干潮時には大島との間に道ができ、歩いて渡れることでも知られています。月に2回、満月と新月の時期にだけ現れるこの道は、地元では“幸運へと続く道”として親しまれています。
- 咸陽島
高知県宿毛市大島17 - 咸陽島公園
高知県宿毛市大島378 TEL0880-63-1119(宿毛市商工観光課)
松田川
愛媛県宇和島市津島町を水源とし、高知県南西部を流れ、宿毛湾に注ぐ松田川。松田川は高知県内の呼び名で、愛媛県では「槇川(または元越川)」と呼ばれています。宿毛湾の河口付近は、冬鳥の越冬地としても有名。川鵜や鴨など多い時は20種以上の野鳥が見られます。
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羊羹ぱんを生んだ幡多半島の大自然について取材してきました→次のページへ
※価格などの情報は取材時のものです。
撮影/吉澤健太 取材・文/佐々木ケイ